白樺派のカレー
ニュースレター第2号
2014年5月発行
立体造形作家・吾妻勝彦氏が語るデザインに込めたメッセージとは?
今から100年ほど前、白樺派の文人達が千葉県北西部の手賀沼沿いに居を構え創作活動をしていました。そのうちの一人、柳宗悦の夫人兼子さんは、バーナード・リーチの助言を受けた味噌入りのマイルドでおいしいカレーを作りました。
この地域に根ざした歴史と文化を、カレーとともに表すことができる人物は誰なのか? 白樺派のカレー普及会は、東葛地域を拠点に活動している、立体造形作家・吾妻勝彦氏にデザインの相談をしました。
当時を振り返って、吾妻氏は、「最初のお話をいただいた時、大正時代、我孫子の手賀沼沿いに、エネルギッシュでユニークな時間があったことを、初めて知りました。最初の依頼は、「試作を重ねてきたカレーが、一般の人にお披露目するところまできたが、その時に、”ランチョンマット”を作って、より関心を持ってもらいたい。」というものでした。
打ち合わせで渡された紙は、ほぼ真っ白で、自由に考えてみてほしい、ということでした。
最初に考え付いたのは、白樺派の文人達は男性がほとんどでしたし、学習院の出身者たちもいたことから、シェフに”バロン”のような人物像をいれて、当時のカフェを舞台にしたようなイラスト背景をつくったら?というものでした。しかし、カレーを市民の皆さんに親しんでもらうためには、女性のほうが良いのでは?と思うようになりました。実際にも、カレーを作って振舞っていたのは”柳兼子さん”だったわけですから。
そこで考えた案は”竹久夢二の絵に出てくるような女性”がキャラクターのものでした。当時、夢二本人が、白樺派にかなり関心を持っていたようでしたので、候補に上げました。しかし、普及会のメンバーより、この案は、「夢二の女性にあまりにも似すぎている。」と意見が出て、再検討しました。その結果、自信はあまりなかったのですが、現在のキャラクターに落ち着いたわけです。こうして主役は決まり、背景で何を表現するかになりました。普及会で一致しているのは、私たちは、今も当時も、手賀沼という存在から、いろんなものをもらっている、ということです。
このことを、ランチョンマットの背景に盛り込もうと思いました。さらに、カレーの材料となる素材のカットも四隅に入れました。カレーは当時”ハイカラな食べ物”だったということで、そんな雰囲気も出したいと思いました。終わってみると、ランチョンマットは、カレーのデザインらしくないもの?になっていました。
ところで、我孫子市は”市民活動の団体”が結構多いんだそうです。ランチョンマットに盛り込んだ考えは、市民活動をしている人たちの情熱、手賀沼に展開する風土、それら宝物が、これからも続くことを願う、ということでした。メインのキャラクターは、カレーを差し出しながら、我々を応援している姿になりました。
この最初の出会いで、私も普及会のメンバーになり、それからは、普及会のミーティングで出たデザインの依頼を受けるようになりました。毎回依頼されるデザインは、私自身楽しんで表現できています。
その後、新しい関係者の方々のご協力を得て、レトルトカレーも発売されたり、数多くデザインしてきました。結果として、メンバーの後押しもあり、私らしいユニークなものができていると思っています。気がつくと、当たり前のことですが、今度は、私が応援されている! ということになりました。」
ランチョンマット第二号は、2008年夏に製作しました。往時の手賀沼周辺の田園風景をイメージしています。裏面は、みんなのアルバム同好会から写真の提供を受け、明治、大正期の我孫子の様子を紹介しています。